可能性に殺される

人間だけが神を持つ。可能性という内なる神を。

自分はいつか何者かになれるかもしれない。この夢を見ている状態というのは、即ち今は何者でもないということである。とはいえ、その何者とは一体どのような存在なのか?

他人の目を気にせず生きていける者などいない。隣の芝生というものは常に青いものなのだろう。特に、今この時代は可能性からの誘惑の手が多すぎる。何か成し遂げた人を見つけるのが簡単すぎる。

何者かになりたいという願望は、主に全くの他人から何かの感情を揺さぶられることで湧き上がる。誰かに何かをしてもらった時だ。これは勿論物理的なものに収まらない。あまりにも良い歌を聞いたとき、映画を見たとき……。

この様に誰かの人生の一部になるようなことを、自分は今後一つだけでも出来ることがあるのだろうか?

人にはやらなければいけないことが山ほどある。山程だ。やることをやって感謝され続けた先には……やはり何かあるだろう。ただこの境地には相当な時間がかかりそうだ。

このままでは自分は何者にもなれない。そしてこの夢は覚めることはない。冷めてしまった時は、内在する神を失うことになるのだから、その人生は終わってしまっとことになる。

何者にもなれない自分は、毎日可能性に怯えて生きていくしかない。